夜光の独り言
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2004/10/10
22.「眠りオルゴール」初日・・迫り来る台風

「眠りオルゴール」初日、行ってきました。
 皆様ご存じの通り、この日、東京には、巨大な台風が迫りつつありました。
 誰もが、この初日は、開演できないのではないかという思いにつつまれていました。一方では、唐十郎が台風ごときで、初日をやらないわけがない という思いの方も多かったに違いありません。
 実際、唐組でも、初日どうするかは、いろいろ悩んでいたようです。
 しかし、その悩みは、中止するかどうかではなく、どうやって芝居を打つかということだったようであります。
 以下は、昨日の打ち上げの話から、夜光が勝手に想像したことです。

8日22時頃: ゲネプロ終了。巨大台風の接近、関東直撃の可能性が報道される。 
     → 唐組の方針は、初日決行!!!
 
8日24時頃: 唐十郎座長より、久保井さん・鳥山さんに自転車による発電機の準備の検討を指示される。
     → 唐さんは、たとえ通常の照明が使えなくなろうとも、初日決行の意志を
 
9日 7時頃: さらに台風直撃の可能性高まる。時速60キロ以上で、迫り来る。
     → テントでの公演をあきらめ、ばらしをかけるため、まず、久保井さんが、照明をばらす
     → 舞台のセットをばらす。

9日10時頃: 唐十郎座長より、テントのまま決行の指示
     → セット再度組み立て、・・・・果たして、開演時間までに再セット可能か
     → 照明再つり込み・・・久保井さん必死につり込み 間に合うか・・・

照明に関わったことのある人なら、一度ばらした照明を再度つり込んで、セッティングすることの、ものすさまじい大変さをご存じだろう。 ましてや、唐組公演は、テント公演としては照明数が非常に多い。

9日13時頃:お客さんが、数人並ぶ
     → 唐組にとって、もう初日公演中止などあり得ない

9日15時頃:西新宿原っぱに吹く風は、暴風雨となり、楽屋のテントはかしげ、吹き飛ばされそうにもなる
     → 公演中止なしという唐組の返事を夜光も確認する

9日16時頃:さらに、暴風雨
     → このころ唐十郎座長は、決死の表情で、考えを巡らしていた。 普通なら、公演中止するかを考え込むところだが、唐十郎座長の思いは、テントなしで開演する場合の演出プランであった。役者はどこから出すか、照明は、そして、観客は。
     → 唐組幹部陣の思いも同じ、この条件の中、見に来た観客に、芝居を見せずに帰らすわけにはいかない。テントが飛びそうなら、テントなし、観客には傘を持って観劇してもらうプランをも考えていた。 

雨に濡れ、風をさけつつ、泥沼と化した西新宿原っぱを駆けめぐり、テントを押さえ、雨水をだし、セットの組み直し、公演準備、などなど、この状況での、劇団員の疲労は、すさまじいものであったに違いない。

9日17時半頃:暴風は最大に荒れ狂う。傘は、すべておちょこに。新宿駅では、小田急線全線不通のアナウンス。観客はびしょ濡れの雨具を着用し、原っぱへ向かう。
     → 原っぱでは、会場を待つ間、カーゴ付きのトラックの荷台にみな案内される。

本当に、開演できるのか? その思いは観客、劇団員みなの心を駆けめぐった。 
しかし、同時にそこに集まった人々は、「必ず開演される」という共通の思いを信じていた。

9日18時半:会場時間 それまで、吹き荒れていた雨風が信じられないほどの静けさ。 風は、ただ上空で雨雲を吹き飛ばすように吹くばかりで、原っぱでは、時々テントの端がはためく程度。 全身に打ち付けるように降っていた雨も、傘が無くても平気なほどとなり、泥沼と化した原っぱがその名残を残すのみとなった。
  唐組初日公演の迫力の前に、台風さえも、足早に、逃げ出してしまったとしか思えない情景だった。
 紅テントは、いつものように、そうして、そこにあり、我々をメールストロームの世界に旅立たせてくれた。
公演開始後は、夜光は、台風のことなどすっかり忘れ、すさまじい存在感と独自性の役者陣、あふれかえる唐ワールドのメールストロームにただただ見入ってしまったのであります。→初日写真
 初日来場された観客の皆様ご苦労様でした。想像以上に多くのお客様が来場され、唐組からも、格別な感謝の言葉が打ち上げで聞かれましたことお伝えいたします。
 「眠りオルゴール」は、今月いっぱい。 是非とも、そのものすさまじいすばらしさを堪能しに、一回といわず、二度三度足を運んでください!!!




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